ハ重洲の読み方は?

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東京都中央区にある地名、八重洲(やえす)は、古くから交通の要衝として栄え、現在も多くのビルや商業施設が立ち並び、活気に満ちたエリアです。 その名前の由来は諸説ありますが、かつてこの地に存在した八重の洲に由来すると言われています。

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八重洲はなぜ「やえす」と読むのか? – 江戸の異国者が語る、東京駅の玄関口の知られざる物語

東京駅の東側に広がる八重洲。ビジネス街として、また東京駅の玄関口として、日々多くの人々が行き交う場所です。「八重洲」と書いて「やえす」と読むのは、今や当たり前ですが、その読み方の由来を知っている人は意外と少ないかもしれません。

八重洲という地名のルーツは、江戸時代初期に遡ります。徳川家康が江戸に幕府を開府した頃、この地にはまだ文字通り「八重の洲(やえのす)」と呼ばれる入り江が広がっていました。そして、その洲に一人の異国人がやってきます。

その異国人こそ、八重洲の名の由来となったヤン・ヨーステン(Jan Joosten van Lodensteyn)です。彼はオランダ出身の航海士で、1600年に豊後(現在の大分県)に漂着したリーフデ号に乗船していました。家康はヨーステンの航海術や知識を高く評価し、彼を江戸に召し抱え、八重洲の地に屋敷を与えたのです。

ヨーステンは日本名として「耶楊子(やようす)」を名乗り、幕府の外交顧問として活躍しました。彼の屋敷があった場所は、次第に「耶楊子河岸(やようすかし)」と呼ばれるようになり、それが変化して「八重洲河岸(やえすかし)」と呼ばれるようになりました。

つまり、八重洲の「やえす」は、オランダ人、ヤン・ヨーステンの日本名「耶楊子(やようす)」に由来するのです。異国の地でその能力を発揮し、地名としてその名を残したヨーステン。彼の存在は、八重洲の歴史を語る上で欠かせない要素となっています。

東京駅の改札を出て八重洲方面へ向かう時、あるいは忙しいビジネス街の風景を眺める時、かつてこの地に暮らした異国人の足跡に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。八重洲という地名には、日本の国際化の始まりと、異文化交流の歴史が刻まれているのです。

単なるビジネス街としてだけでなく、歴史的な背景を知ることで、八重洲の風景はより深く、そして魅力的に感じられるはずです。

補足:

  • 八重洲には、ヤン・ヨーステンの功績を称える記念碑も建立されています。興味のある方は、訪れてみてはいかがでしょうか。
  • 八重洲という地名には、八重洲博多地区など、エリアによってその雰囲気が異なる魅力があります。それぞれの地域を散策してみるのもおすすめです。