東西線の正式名称は?

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1970年大阪万博開催のため、北大阪急行電鉄によって建設された「会場線」が、一般的に知られる「東西線」の正式名称です。千里中央駅と万国博中央口駅を結び、博覧会輸送を担った3.6キロの路線でした。現在、東西線として知られる路線とは異なる、期間限定の路線だった点が重要です。

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万博の遺産:幻の「東西線」、その知られざる歴史

「東西線」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?東京を東西に貫く、朝のラッシュアワーの激しさが有名な地下鉄でしょうか。しかし、実はもう一つ、全く別の「東西線」が存在したことをご存知でしょうか?それは、1970年に大阪で開催された万国博覧会(大阪万博)のために建設された、期間限定の幻の路線なのです。

この万博のために建設された路線こそ、正式名称「会場線」であり、一般的には「東西線」と呼ばれていました。運営は、現在も北大阪急行電鉄が行っています。千里中央駅から万国博中央口駅までの、わずか3.6キロの短い路線でしたが、会期中は多くの来場者を運ぶ重要な役割を担いました。

現在の東京メトロ東西線とは異なり、この万博の「東西線」は博覧会開催期間中のみ運行された、文字通り「幻」の存在です。万博閉幕後、路線はその役目を終え、撤去されました。しかし、その短い期間に、多くの人々の記憶に刻まれ、大阪万博の歴史の一部として語り継がれています。

では、なぜ「東西線」という名称が使われたのでしょうか?これは推測の域を出ませんが、当時の大阪万博が世界各国から人々が集まる国際的なイベントであったこと、そして会場線を博覧会場の東西を結ぶ重要な交通手段として位置づけたことが理由として考えられます。東西という名称は、国際性と、博覧会を繋ぐ役割を象徴していたのかもしれません。

現在、北大阪急行電鉄は、万博のレガシーを受け継ぎ、大阪の北部地域を結ぶ重要な路線として機能しています。千里中央駅は、今もなおその中心的な役割を果たしており、万博公園へのアクセス拠点となっています。

もしあなたが万博公園を訪れる機会があれば、かつてそこに存在した「幻の東西線」に思いを馳せてみてください。短くも輝かしいその歴史は、日本の高度経済成長期を象徴する大阪万博の記憶とともに、人々の心に残り続けているのです。そして、東京の東西線とは全く異なる、もう一つの「東西線」の存在を知ることで、より深く日本の鉄道の歴史、そして大阪万博の歴史に触れることができるでしょう。