「口を糊する」の由来は?

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「口を糊する」は、生活が苦しく、やっとのことで生計を立てる様子を表す言葉です。その語源は、粥をすすって飢えをしのぐような貧しい暮らしに耐え忍ぶさまに由来します。質素な食事で何とか命をつなぐ、切迫した状況をイメージさせる表現です。

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「口を糊する」という言葉は、現代でも耳にする機会のある、生活の困窮を表す表現です。しかし、その由来を正確に知っている人は少ないかもしれません。単に「食べる」という意味以上に、深い歴史と社会背景を孕んだ言葉なのです。 「粥をすすって飢えをしのぐ」という説明は、簡潔で分かりやすいですが、その奥に隠された歴史的、文化的背景を掘り下げていくことで、「口を糊する」という表現の重みがより鮮明になります。

まず、重要なのは「糊」という言葉です。現代では接着剤を意味する「糊」ですが、この言葉が「口を糊する」で使われる場合、それはあくまで「飢えをしのぐための、最低限の食事」を意味する比喩表現です。 江戸時代以前、特に農村部において、米が主食であることは言うまでもありません。しかし、米は貴重であり、常に十分な量を確保できるとは限りません。凶作や疫病、あるいは単なる貧困によって、米どころか、穀類自体が不足することも頻繁にありました。そのような状況下では、米を水で溶いて煮た「粥」が、まさに生き延びるための最低限の食糧でした。

この粥は、現代のようにとろみのある、比較的美味しいものとは必ずしも限りませんでした。水分の多い、薄くて味気ない、まさに「糊」のような粘り気のある状態であったことが考えられます。 その薄くて味気ない粥を、一日の糧として、精一杯食べて生き延びる…それが「口を糊する」という表現の根幹をなす光景です。

「糊」は、接着剤としての性質から、何かを繋ぎとめる、維持するという意味合いも持ちます。 「口を糊する」という表現は、単に「食べる」という行為を超え、「最低限の食事で、辛うじて命を繋ぎとめている」という、切迫した状況を表しています。 それは、単なる飢餓ではなく、貧困によって日常的に繰り返されるギリギリの生活、明日への不安を抱えながら、何とか生き延びようとする人々の、絶望と希望が入り混じった、複雑な感情を表現していると言えるでしょう。

さらに、「糊」という表現は、その質感から、生命力の弱さ、脆さも暗示しています。 粘り気のある粥は、簡単に切れてしまう、儚い命を連想させます。 決して豊かな暮らしとは対照的な、貧しく、不安定な生活を、端的に表現しているのです。

「口を糊する」という言葉は、単なる語彙ではなく、日本の歴史、特に貧困の歴史を背景とした、生きた表現です。 現代社会においても、経済的な困難に直面する人々は存在します。 そのような人々の状況を理解する上で、「口を糊する」という表現は、単なる比喩を超えた、深い共感を生み出す力を持っていると言えるでしょう。 その言葉の重みを知ることによって、私たち自身の生活、そして社会に対する認識を深めることができるのではないでしょうか。 現代では、その意味合いが少し薄れてきているとは言え、この言葉が持つ歴史的な重みと、貧困の現実を想起させる力強さを、私たちは常に心に留めておくべきでしょう。